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【地域情報】竣工昭和46年竹山団地に行ってみた

団地には不思議な魅力がある。
どうしてこんなに個人的に団地に惹かれるか分からないが、古い団地を見れば見るほど不思議とテンションが上がってしまう。
以前、クラレポでも川崎市の川原町団地に訪れたことがあったが、横浜にも魅力的な団地はないものか?と探している中、非常に気になる団地を見つけた。
それは神奈川県横浜市緑区にある、神奈川県住宅供給公社竹山団地である。

1.団地の歴史に少し触れてみよう

団地の定義とかそういうことではなく、団地の始まりはいつ頃から始まったのだろう?
太平洋戦争が終結した昭和20年代初頭は住宅不足に悩んでいた時代。
昭和25年に住宅金融公庫法、昭和26年に公営住宅法、昭和30年に日本住宅公団法が制定され、住宅不足解消の一翼を担ったそうな。

また、地方住宅供給公社の前身となる団体が設立されたのもこの頃。
公営住宅、公団住宅、公社住宅とRC造の共同住宅が数多く建設されたことで、複数の住棟が立ち並ぶ団地が形成されていったのだ。

また、当時の一般家屋では『食寝一体』の部屋構成であったが、団地では初めて『食寝分離』の住戸設計が採用された。

要するに、2DKとか3LDKみたいな間取りが採用されたのだ。

食寝分離の生活では、浴室に水洗トイレがあったり台所に流し台があったり、まあ今では一般的な生活スタイルだが当時は超絶オシャレな暮らしだったと思う。

また当時、電化製品の三種の神器と言われた『白黒テレビ』・『洗濯機』・『冷蔵庫』を揃えて団地生活を送る事が夢でありステータスだったのだそうだ。
現代でいうところのヒルズ族や、タワマンに住むようなイメージだろう。

それから昭和30年代から昭和40年代にかけてベビーブームの到来やら、高度経済成長期やらで団地は一気に盛り上がった。
郊外には生活関連施設(教育機関、金融機関、店舗等)が併設したニュータウンが建設され、多くの団地が建設された。

今回取材で訪れた竹山団地も、まさにその最中に建設された団地の一つである。

2.ノスタルジー溢れる竹山団地の魅力

まず竹山団地に訪れた理由は、何と言っても池も含めた団地設計の珍しさに惹かれたからだ。
個人的な意見になるが、団地やマンションの敷地内に池があるのは分かるが、写真を見ていただければ分かるように敷地内は大半が池。
軽く建築などを学んでいたので気になるのは、湿気は大丈夫なのか?臭いとかは?水の色これ大丈夫?と突っ込みたくなる。
しかし、まるでヨーロッパ建築のような湖畔(池だけど)に浮かんだ感じは迫力を感じる。

また一階部分と二階部分をつなぐ通路も、また不思議な設計で外観はこんな感じ。

なんだろ?船かなんかがモチーフ?

外観はさほど突込みどころは無く、スロープのようになっているだけなんだけれども。
上から見ると『ん?』なんか水面が…。

上から見ると水が…。

まさか、下っていくとゴール池じゃないよね?と不安を感じつつ進んでいく。
するとそこには、現代では絶対に設計しないであろう謎のスペースが。

なんか海外っぽい…。

下まで降りていくと、なんとも言い難い光景が目の前に。
見様によっては南フランスっぽいけど…。
というか、なぜ池を残しているのか?とは思うが。現代なら効率重視で水面部分は普通に潰してしまうだろう。
だってスペース取れるもん。
でも、こういう設計が当時の人たちの夢が伝わってきていいと思う。

などと考えていると、品の良いおばあさんに声を掛けられた。

『なんか面白い物でもあるの? 笑』と聞かれたので、『いや、こんな大きな池がある団地珍しくて…。』なんて話していたら、なんとこの団地に40年住んでいるそうな。
池ももっと水量が多くてきれいだったらしい。
おばあさんの写真も撮らせてもらえばよかった…。

そして団地といえば商業施設と併設になっている事が多いが、こちらの団地も例外なく商業エリアが存在している。

昭和が残る商店街

きれいな商店街だが、昭和46年から建っているせいかノスタルジックな雰囲気が残っている。
また、ピロティの二階部分は駐輪場と居住エリアへとつながる階段がある。
居住エリアの階段の間口は結構狭く大型家具の搬入の際は少し心配。

ピロティ二階部分

ちなみに、この池は解放している時もあるらしく、釣り堀を開催しているんだとか。
カルガモが多いので一応魚とかいるのかな…。
でも何が釣れるんだろ…。

3.まとめ

終始個人的な意見になってしまうが、何故こんなにも団地に惹かれてしまうのか?
それは恐らく、高度経済成長期の時の勢いや夢が詰まっており、建築物という巨大なものとしてカタチに残っているからである。
今とは違う時代背景が残る団地には、その時代の生活感が思念のように残っており、魅力を放っているように思う。

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