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【地域情報】横浜遊郭跡地巡り其之二

前回の横浜遊郭跡地巡り其之一は割と近代史であるが、其之二はさらに遡ること160年前の歴史に触れていきたいと思う。
歴史的に見て、横浜のもっとも古い遊郭の歴史は現在の横浜公園にあった港崎遊郭(みよざきゆうかく)から始まる。

1.横浜公園は遊郭跡地?

まず、横浜公園と聞いてピンとくる人はどれくらいいるのだろうか。
個人的な見解かもしれないが、横浜公園=横浜スタジアムと繋がる人は恐らく浜っ子だけであろう。
田舎から出てきて、都内に住んでいる人なんかは横浜スタジアムの目の前の広場が、横浜公園という名前だということも知らない人が多いのではないだろうか。

まあ、それは置いておいて横浜スタジアムのある横浜公園はその昔、港崎遊郭(みよざきゆうかく)という大きな大きな遊郭があった事はご存知だろうか?

まあ、簡単に言うと外国人の接待用に現在の関内に遊郭の建設を行ったのだ。

建設などに関わったのが岩槻屋佐吉という人。

遊郭あるあるだが、火事が頻繁に起こり移転を重ねて最終的には現在の横浜公園の場所に行きついたのだ。
結局、横浜公園にあった遊郭も豚肉料理屋の火事により焼失し、明治9年頃に整備が完了し現在の横浜公園となったのである。

建設に関わった岩槻屋佐吉の岩槻を音読みして『がんき』と読み、それをなぜか『岩亀』と漢字を替え『岩亀桜(がんきろう)』という遊郭を作ったそうな。
一節によると、『いわつき』より『がんき』という読み方の方が勢いがあってかっこいいとかなんだとか。

ちょっと意味が良くわかんないけど…。
まあでもそんな適当な理由らしい。漢字も何か『岩亀』の方がいいよね的なかんじだったらしい。

2.岩亀楼はとても立派だった??

横浜公園の一角にあった岩亀楼はそれはそれは立派だったらしい。

他の遊郭とくらべても群を抜いて豪華な作りであったらしく、昼間に関しては一般庶民に見物料を取って公開していたほどである。
現在では横浜公園の横浜スタジアムの脇にある日本庭園内に、岩亀楼の灯篭が設置されている。

岩亀楼の灯篭

岩亀楼の灯篭はもともと横浜市南区にある妙音寺で保管されていたらしいのだが、1982年12月に今の場所に設置されたと言われている。

子供の時になぜこんな場所に突然の日本庭園??と思っていたが実はその背景には遊郭跡地という歴史があったのですね。


庭園内鹿威し

また岩亀楼の残り香として残されているものとして、横浜市西区戸部町にある岩亀横丁だ。
現在でも岩亀横丁という名前で残されている。

3.岩亀稲荷に行ってみた

岩亀横丁とは、遊女達が病に倒れた際に静養する寮があった場所だ。

岩亀横丁には遊女たちが信仰するお稲荷さんがあり、現在では戸部町4丁目付近にあるがもともと岩亀稲荷は少し違う場所にあったのだそうだ。

岩亀稲荷の内部

現在では岩亀稲荷のお隣さんの『シャツ専門店松本屋』さんのご主人が丁寧にお世話をされているようだ。

岩亀桜では遊女達の自殺など、あまりいい話だけではないしそれなりにドロドロとしたものがあったのだろうから、その遊女達が信仰していたと聞くと少し怖い気もしたが。
いざ、お参りしてみるととてもキレイにされており、怖い感じなどは一切無い。
あまり広い場所ではないが、明治くらいにタイムスリップしたような気持になる。

境内の様子

いまだに戸部には遊郭跡地ならではのカフェースタイルっぽい建築もあり、現代にも当時の風景が残っているように思える。

4.まとめ

何気に壁面が亀っぽい

ちなみに、江戸は都会だったからなのか火事が起こるとすぐさま復旧工事を行い、元の街並みに戻すのが鉄則だったらしいが、横浜はそうはいかなかったらしい。

理由は定かではないのだが、火事が起こったあと外国人の多い横浜は少しずつ洋式の公園や建物が出来ていき、今の雰囲気になっていったそうだ。
神奈川は横浜という土地に集中的に歴史が詰め込まれているので、いまだに色濃く文化が残っている場合がある。
経済的にどうか?という観点もあるが、こうした横浜の闇歴史はこれからも残しておいてもらいたいものだ。

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