• 友だち追加

【地域情報】横浜市戸塚の最果て ドリームランドのお膝元俣野へ行ってみた

みなさん、ドリームランドを覚えているだろうか。
昭和を代表する興行師、日本ドリーム観光社長の松尾國三が、本場のアメリカのディズニーランドへ行った際に感動して、ウォルト・ディズニーに何度も直談判して作ったとされる遊園地だ。今回クラレポは、ドリームランドが存在していた俣野へ取材に行ってみた。

1.ドリームランドってなに?

昭和を代表する興行師、松尾國三は元々旅芸人の出で歌舞伎役者でもあったようだ。
松尾國三らは、満州や朝鮮を始めとし、アメリカなど海外でも歌舞伎公演を行うなど、国際的に活動を行っていたようだ。
そんな中、松尾がアメリカ視察に行った際にディズニーランドを見学したそうだ。
ディズニーランドの素晴らしさはもちろんの事、ウォルト・ディズニーの考え方や姿勢に感動し、「こりゃ日本でもやりたいぞ!」となったそうだ。
ウォルト・ディズニーに、「和製ディズニーを作りたい!どうかノウハウを指南してはくれまいか?」と何度もお願いして、ようやく首を縦に振ってくれる事になった。

当初、ドリームランドは東京近郊に建てるつもりだったが、色々とうまく行かず和製ディズニーランド1号は、1961年に奈良県に建設されたのだ。
その名も、「奈良ドリームランド」として華々しく開園された。
その3年後の1964年に、毎日新聞社の後援をもらい、なんだかんだで当初の予定通り東京近郊の、横浜市戸塚区の俣野町にも「横浜ドリームランド」開園する事ができたのだ。
横浜ドリームランドができた事により、アクセスを良くするためJR大船駅からドリームランドへ、モノレールを開通しようという事になった。
それまでは、大船駅からバスで15分という道のりであったが、モノレールを通す事で8分で横浜ドリームランドへ行けるという触れ込みで盛り上がったらしい。
またマイカーで行く場合、横浜新道にアクセスが集中するため、大渋滞が巻き起こり、世の中のドライバーを相当イラつかせたようだ。

大船から、モノレールでドリームランドに行けるようになり、アクセスは良くなったし、渋滞も緩和したことによりウィンウィンの状態であったはずだがここで大問題が発生した。

技術上の欠陥により、わずか1年半弱後の1967年に運行休止を余儀なくされたのだ。
この事件により再びアクセスが悪化し、経営不振に追い込まれる事になったのだ。
再び、横浜新道ではドライバー達がイラついた事が想像できる。松尾もイラッとしたに違いない。
もちろん、アクセスだけが問題ではく、ディズニーランドの東京進出や、ユニバーサルスタジオジャパンの登場により、ドリームランドは追い込まれたという話しだ。

USJはまだ良いとして、師匠のディズニーランドに追い込まれるのは、なんとも皮肉である。

まあ正直、規模やブランド力を考えたら、ウォルトさんはそんな事気にも止めてもいなかったと思うし、相手にもしてなかったと思うが。
ただ、単純に「トキオにもダシテ儲ケタイナァ」くらいにしか思ってなかっただろう。
まあ、トキオじゃなくてあそこチバだけど。
ちなみに、ウォルトと松尾の話では、ウォルトの条件として、「ディズニーランドの経営方法や考え方を教えるだけで、ディズニーランドとは関係ないレジャーを作ってね!」という話だったそうだが。最初に出来た奈良ドリームランドは、ディズニーランドを結構パクりまくってたらしく、ディズニーランドの日本招致の際、結構モメたそうだ。
やっぱ、ウォルトさん怒っていたのかな…。あと、パクリとか言っちゃいけないのか…、オマージュか。
当時は、日本も割と中国と似たような事していたんだね。

そんな不幸が他にも色々と相次ぎ、2002年に和製ディズニーランド、ドリームランドは閉園したのだ。

2.謎のビル

2002年に閉園したドリームランドだが、しつこいようだけど和製ディズニーランドである。
ディズニーランドといえばなんだろう?そう、シンデレラ城。
シンデレラ城のつもりだったのだろうか?分からないが、巨大な五重塔のようなビルがある。この塔は「ホテルエンパイア」といって、ドリームランドと、この地域のランドマーク的な存在であったそうだ。

そもそも、クラレポがドリームランドを取材しようと思ったのは、あの塔は何なんだろう?と衝撃を受けたからだ。
幼少期に、初遊園地として一度来た事があるそうだが、年齢的に正直この塔をまったく覚えておらず、大人になって興味を持ったのだ。
それよりも、ドリームランドによって絶叫マシーンが嫌いになり、その時の恐怖しか覚えていない。
未だに絶叫マシーンを克服できていないヘタレである。
なので、初めて見たときは、謎の宗教団体のビルか?と思っていたぐらいだ。

ホテルエンパイアは、完成当時は地下2階地上21階、高さは建物部の高さが68m、尖塔と避雷針を含めて93mであり、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。
勢いのある時代であったのだろう。

ちなみに、展望台部分は横に回転していたらしいwww
回転展望台として話題になっていたそうだ。
でも確かにすごいよな、今では効率的じゃないという理由で絶対に設計しない造りだと思う。
だいたい電気代とかいくらするんだよ。壊れたら修繕費とか半端じゃないだろ。
現在は動いていないが、動いている所をどうにか見てみたい。
自分が唸るほどお金持っていたら動かしてみるだろうな。

横浜ドリームランドは閉園後、土地を売ってしまい、現在ホテルエンパイアは横浜薬科大学の図書館棟になっているそうだ。
内部を見てみたい衝動に駆られるが、年3回くらいのイベント時に、大学を解放している時にしか見れないらしく、普通の日に行っても今回の取材のように、外からボーっと見る事しか出来ない。
第二弾として、今度は機を狙って内部を見に行こうと思う。

3.プチ奈良?春日神社

売り飛ばされた土地にあるのは、横浜薬科大学だけじゃない。
春日神社という、人形供養もするゲキ渋神社も存在しているのだ。
この神社は横浜ドリームランドの建設の際に発展と繁盛を願い、奈良県の春日大社から分霊を勧請したのが始まりだという。

由緒

実際、鹿も飼育されており奈良の鹿と同様、鹿せんべいをあげるとお辞儀するそうだ。礼儀正しい。
さっそく買ってあげてみよう。

せんべいを食う鹿

お辞儀しねえじゃねえか…。
まあでも、可愛いからいいか。

せんべいの切れ目が縁の切れ目

上記でも少し触れたが、人形供養なんかもやっているらしい。
ふと端に目を向けると、人形供養所がある。
先客が置いていった人形がいくつか置いてある。

以外と怖くない

紙袋に入っている人形もある。
無性に中に入ってる人形が気になる…。

袋の中。喧嘩中?

何だろう、不謹慎だけど人形には少しがッカリした。
目が動くやつとか、明らかに呪われている感あるのかな?と思ったけど、大した事はない。
単純に捨てるのに捨てづらくて持ってきているという感じだな。
なんか、鹿もお辞儀しないし、全体的に少しモヤっとする。

また、この付近はドリームランドが売ってしまった土地に、ドリームハイツという団地がある。
この団地もかなり渋い団地のようだ。
平面図(上から)で見た時にY字になっている。おそらく全て角部屋になるように設計されているのだろう。個性的な造りだ。
眺望を意識しての事でしょう。

Y字団地

ただ一つ謎なのが、これだけアクセスが悪いとイジられていた場所に住むのは大変ではなかろうか?
まあでも、昔と違ってバスの本数も多いのかもしれないし、今はアクセスが悪くないのかもしれない。

4.まとめ

こうして、すべての土地は売り払われ、ドリームランドは本当に夢で終わってしまったのだ。
ほんの数年前までは、夢の残骸として廃線になってしまったモノレールの線路もあったらしいが、その残骸も今では残っていない。

  • 友だち追加