• 友だち追加

【地域情報】川崎駅の河原町団地がSFすぎる件

JR川崎駅には、「まるでUFOの基地みたいだ!」、「近未来の要塞のようだ!」と騒がれている団地がある事はご存知だろうか。
その団地は河原町団地といい、川崎駅より北へ15分程歩いた場所に突如現れるのだ。
団地の名前になっている河原町は、町全体が巨大な団地群となっており、郵便局、銀行、そうてつローゼン(スーパー)なども入っている。
その団地群の中に、ひときわ異彩を放つ住居棟があるという事で、今回クラップレポートは河原町団地へ取材に行ってきた。



1.河原町団地の歴史

現在の河原町団地が存在している場所は、もともとは東京製綱株式会社という、ワイヤーロープやスチールコードなどの製品を扱っているメーカーの工場であった。現在もワイヤロープの国内最大手メーカーであり、つり橋や超高層エレベーター向けが主力製品となっているそうだ。

また、河原町一体は明治時代までは沼地だったとの事で、東京製綱株式会社の工場を作る為に埋め立てた土地なんだそうだ。
東京製綱株式会社の工場は、1945年(昭和20年)の川崎大空襲で90%が破壊されるという甚大な被害を受けた。

戦後はどうにか復興を果たしたが、どういう訳か1969年(昭和44年)に茨城県へと移転していったようですね。

その後、高度経済成長の煽りを受けながら、1971年(昭和46年)河原町団地1号棟が完成し、翌年の1972年(昭和47年)には、川崎市が政令指定都市に移行し川崎市幸区河原町となった訳だ。現在の河原町団地は、全15棟、戸数3600を誇る超巨大マンモス団地になっている。

河原町団地は当初、「川崎市立河原町小学校」も併設されており、1977年(昭和52年)9月には児童数1,906人を記録ししていたそうだ。
1986年(昭和61年)時点ですでに住民の高齢化が指摘されており、学校は2006年に廃校になり、小学校の跡地は老人ホームや介護の施設として使われているようだ。
施設のリサイクルが完璧だ。

そして、これからご紹介するSFな団地を設計したのは、大谷幸夫(おおたに さちお)さんという建築家だ。



2.大谷幸夫(おおたに さちお)という建築家を知っている?

大谷幸夫氏は東京大学出身の日本の建築家で、同じく東京帝国大学(現・東京大学)出身の丹下健三氏の弟子にあたる人だ。

丹下健三氏は「赤坂プリンス」、「横浜美術館」、「東京都庁」、「国立代々木競技場」などの建築を手掛けており、1960年代から日本では世界の丹下といわれるくらい有名な建築家の一人である。

世界の丹下の下で、様々な都市計画や建築関わってきたとの事らしい。
その大谷幸夫氏自身も、1961年に設計連合を設立して独立し、1971年に川原町団地の設計に携わっていく事になる。
師匠である、丹下健三氏はポストモダニズムという思想のもとに建築を設計を行っていた。

ポストモダニズムというのは、思想や哲学なので説明が難しいが、まずモダニズムという思想から説明していきたいと思う。

所説あるが、20世紀の始まりくらいから建築業界だけに留まらず、各業界でモダニズムという考え方が広まっていった。

モダニズムには、「Less is more(より少ないことは、より豊かである)」という思想があり、要するに「今まで評価されてきたモノってさ、なんか無駄な装飾とか多くない?」とか、「逆にこの装飾失くしたら、スペース取れるし便利じゃね?」とか、「ゴテゴテしてて嫌だ。シンプルな方がかっこよくない?」みたいな方向にシフトしていったのだ。

そのまま、モダニズムは大流行していったが、1980年代頃から今度は「モダンってかっこいいけど、何もなさすぎじゃね?」とか、「シンプルすぎて味気ないよね」とか、「正直かっこつけて壁の少ない家に住んでるけど寒い」といった逆風が吹く事になる。

まあ、「昔の西洋建築みたいなゴテゴテさはいらないけど、そこそこ装飾があったり、他と違ったモノがあってもいいよね?」という思想になっていきます。
その思想こそが、ポストモダニズムと言われるようになったのです。

まあ、現代でもよくある事ですよね。
ファッションにしてもスカートが短くなったり、長くなったり。メイクにしても眉毛が細くなったり、太くなったり。スマートフォンも大きくしたり、小さくしたり。
とにかく、人間は流行ると極めようとして過剰になっていくのは昔からなんだなあ…。と思ってしまう。

丹下健三氏と、河原町団地を設計した大谷幸夫氏は、そのポストモダン建築の先駆者であったのだ。

3.河原町団地はポストモダニズムな団地だった

さっそく、河原町団地の中に入っていき進んでいくと、遂にその奇妙な住居棟が姿を現した。
逆Yの字にそびえ立つ姿は、確かに宇宙コロニーのようなSFな世界観を漂わせている。
真正面から見るとものすごい迫力だ。
この住居棟はその形から想像できると思うが、逆Yの字に設計されている為、耐震強度が強く東日本大震災の際も調査が入ったらしいが全く問題なかったそうだ。

逆Yの字の内部

逆Yの字の中に入ってみると、天井は吹き抜けていて薄暗いが光が差し込むような設計だ。
雨の日でも子供が遊べたり、何かの為に使えたりなど、あえて余白を残している空間の一つだそうだ。
しかし吹き抜けなので、「雨が降ったら普通に濡れるのでは?」などと野暮な事は考えない方がよさそうだ。
逆Yの字の中では、実際子供たちがサバゲーをしていて、大人の目から見てもちょっと楽しそうだ。「AKIRA」感がすごい。

更に、この逆Yの字は大谷幸夫氏が日照の問題と、景観が与える印象の問題に取り組んだ結果だという。
垂直に切り立つ高層建築はどうしても圧迫感を与えてしまうが、逆Yの字がつくる傾斜によって、圧迫感が緩和されると考えたのでであろう。
また、直方体の建築に比べて、街並みに馴染ませる事にも成功している。

逆Yの字のおかげで景観に馴染んでいる

逆Yの字構造は、低階層の日照の問題も解決しており、日当たりの良い暮らしが実現できている。
それ以外でも、結果パズルを組み合わせたような構造が、建物自体に幾何学模様のような良いリズム感を生み出しており、独特のかっこよさがある。

日照を考えた造り
独特のコントラスト

全体的にはモダンな造りになっているが、住民目線に立ち問題点を抽出し、問題解決の為に大胆にY逆Yの字に設計されている住居棟は、まさしくポストモダニズムを感じさせる。この建築自体に「目立ってやろう!」という派手な考えは無かったのだろうけど、住民目線で素直に造っていった結果、メチャクチャ目立つ建物になってしまったという感じだ。



4.まとめ

結果SF的な住居棟は、大谷幸夫氏が住民の事を考えて一生懸命造ったにも関わらず、「宇宙コロニーみたいだ!」とか「UFOの基地だ!」とかイジられてしまっている、ちょっと残念な建築物だったのだ。
個人的には、この建築は前から知ってたので好きなんですけどねえ。分譲もまだまだ行ってるみたいなので、興味がある方は是非内見にでも。

  • 友だち追加