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【地域情報】東京湾唯一の無人島、要塞「猿島」へ上陸!

東京湾に浮かぶ唯一の無人島猿島。
猿島は歴史的に古くから存在しており、江戸時代からすでに猿島についての様子が記録されている資料がある程だ。
また、島からは縄文土器や、弥生土器なども発見されており、人骨まで発見されているとの事。相当昔から存在している島である事は間違いない。
幕末から第二次世界大戦前にかけては、東京湾の首都防衛拠点として要塞となり、砲台などを設置する為の台場が築造された。
今回クラップレポートは、そんな軍事的な歴史が色濃く残る要塞、猿島に上陸してきた。



1.猿島の歴史

最初に断っておくが、猿島はその名の通り「猿が多いの?」、「猿だらけ?」と思うかもしれないが、猿は1匹もいない島なのだ。
「じゃあ、何で猿島?」という事なのだが、猿島はもともとの名前は豊島という名前だったらしい。
猿島は軍事的な歴史と、もう1つ仏教的な伝説があり、これがまた何ともSFXな話なのだが…。
一応島の名前の由来を紹介していきたいと思う。

~猿島の名前の由来~
昔々、日蓮上人が房州から鎌倉へと船で向かっていました。
その日は台風が迫っており、海は大荒れ。「こりゃだめかもしれん…もう死ぬな…。」と、仲間たち皆が諦めてしまってました。
しかし、ここで日蓮上人は諦めませんでした。
日蓮上人は、仲間たち皆が諦めムードの中、何故か一心にお経を唱え始めるという、奇行に打って出ました。
仲間たち皆ドン引き。
しかし、そんななか、突然白い猿が現れ「豊島」へと導いてくれたそうです。
皆助かり、めでたしめでたし!
「じゃあ、豊島の名前は縁起がいいから、猿島にしよっか!」という事で猿島という名前になったとさ。
~おわり~

なんだそりゃ。
要するに、軍事施設である歴史と、日蓮上人の歴史もある島だという事。今回は日蓮上人には触れないが、島の名前の由来はそういう事だそうだ。

話を戻すが、猿島は島全体が歴史遺産となっている。
冒頭でも少し触れたが、幕末の1847年から砲台を設置する為の台場が築造され、明治時代に入ると陸軍省や海軍省の所管となり、東京湾に浮かぶ要塞として、猿島砲台が設置されたとの事。
この要塞は、実戦には参加する事は無かったそうだが、東京湾の防衛の要として作られたのだ。
第二次世界大戦後は、1961年までアメリカGHQに接収されてしまう。
その間、1947年に島への渡船の運行を開始し、1957年には海水浴場なども開いていたそうだが、1993年に海水浴場を閉鎖し、渡船も廃止してしまったらしい。

その後、1995年に大蔵省から横須賀市へと管理を受託し、渡船も再開され徐々に現在の猿島になっていったのだ。
そして、2003年には横須賀市が国から猿島の無償譲与を受け、猿島公園として整備されたそうだ。



2.猿島へのアクセス

猿島は、京急線の「横須賀中央駅」が最寄り駅となる。
横須賀中央駅から、北東の港側に向かって歩いていくこと約15分。三笠公園という、横浜でいうところの山下公園のような、港兼公園のような場所に到着する。
三笠公園から、フェリー?大型クルーザーのような船に乗って、猿島へ向かうのだ。

三笠公園から猿島への船の料金は、通常1300円(往復)+猿島入園料200円で合計1500円。
しかし、何故かこの日はお祭りをやっていたからなのか、半額だった…。うれしい。

うれしい半額券

ちなみに、猿島には宿泊施設は無く、帰りの船に乗り遅れると野宿するハメになるので、注意した方が良いとの事。
最終便は猿島発17:00なので、一応頭に入れておこう!
そうこうしてるうちに船が来た。いざ出発。

大型のクルーザーのようなフェリー

乗船時間は約10分くらいで、猿島に到着する。
この日は、天気は良いが風が強く、若干波が高いので結構揺れた。
普段は平気らしいが、「波が高いので船の先頭の甲板には座らないでください!」と船長が注意を促していた。
別に振り落とされるという事ではないが、めちゃくちゃ濡れるらしい。
強引に割って入って先頭に座っていたババアが、慌てて移動するくらい注意されるので、波が高い日は気を付けたほうが良さそうだ。
そして、ようやく猿島が見えてきた!

金田一少年の事件簿みたいな猿島

この日は、船の時間も調べて行ったので、比較的スムーズに猿島まで行けたが、横須賀中央駅から三笠公園まで徒歩で向かい、船の待ち時間と乗船時間を合わせて約30分くらいかかる。
船は基本1時間に1本のペースなので、もし仮に船を逃してしまったとしても、船着き場の近くに喫茶店のようなものもあるし、戦艦のような船も停泊しているので、時間を潰すのには困らないと思う。ギリギリ、イラつかない程度には見る物があるという感じだ。

3.要塞跡地を散策

猿島に上陸してまず目に入るのが煙突のあるレンガ造りの発電所だ。
この発電所は、明治26~28年にかけて造られたそうだ。当時は石炭を焚いて、蒸気で発電機を廻していたそうだ。なるほど、だから煙突が設置されている訳ね。
島内のトンネルや、探照灯に使われていたらしく、島の重要な設備だったようだ。
発電所の脇道を登っていくと、その先には兵舎がある。赤いレンガ造りの構造で、フランス積と呼ばれ大変貴重なものなのだそうだ。
簡単に説明すると、短いレンガと長いレンガを組み合わせて積むのが特徴で、明治初期に使われていた技法という事で日本では数例しかないらしい。

フランス積みの兵舎

ちなみに、クラレポでよく取材している横浜にある、赤レンガ倉庫の積み方は、イギリス積の変形型のオランダ式らしいですよ。
なんか、レンガの積み方を見るのが好きな方もいらっしゃるらしいですね。世の中色々な趣味があるなあ。
その先には、当時のトイレが今も土台だけが残っています。ちなみにこちらは、うんこトイレとの事。

当時のトイレ

そして、当時の弾薬庫を見る事が出来る。
弾薬庫には、もちろん砲台に乗せる為の弾薬を管理していただろうし、危険物でもあった訳だから、この島で1番重要な施設であったはずだ。
その入り口がこちらだ。

弾薬庫入り口

通常、弾薬庫の中には入れないとの事。
ただし、「200円追加で払えば見せてやってもいいよ?」という事らしい。
どうして金払わなきゃ見ちゃいけないのかよく分からないが。。。別に中に人がいて管理してればいいだけじゃないの?と思ったが、グチャグチャ言わずに払いました。
弾薬庫の中はもちろん電機は通ってないので、結構暗い。
ガイドさんから配られる、懐中電灯を持って中に入るのだ。ドラクエ1を思い出す。
中はこんな感じだ。

結構人がいて、なんかガッカリする

中に入ってみると、結構人がいて少し拍子抜けする。みんな弾薬庫見たいもんね。
実はこの弾薬庫はかなり落書きが多い。
この島を横須賀市が譲与された時から、既にその落書きは存在しているらしく、弾薬庫の案内をするおじさんも首をかしげている。
「本来、この島は軍事施設だし、一般の人間は入れないはずなのにねえ。」
確かに。島には入れたかもしれないが、弾薬庫自体は常に鍵がかかっているので、入る事は出来ないはずだ。
おじさんいわく、「ここに住み込んでた人(恐らく軍人)が書いたのかなぁ?」と言っている。
その落書きがこちらだ。

予生の学校?1988年? 弾薬庫の落書きより

予生の学校?1988年と書かれているが、その当時のものなのだろうか。
弾薬庫の事より、落書きの方が色々とパンチ力がある。
しかも落書きはここだけではなく、いたるところに書かれているのだ。
更に、当時の窓のような部分をのぞき込むと、このありさまだ。

死 弾薬庫の落書きより

ちなみに、この「死」という文字は、窓が全部で3つくらいあるのだが、すべてに書かれている。
一体、何が目的だったのかは分からないが、弾薬庫に死とか書かないでほしい。
ちなみに、一番古くから残っているであろう女性の落書きもある。

女性 弾薬庫の落書きより

突然の壁画感にびっくりするが、恐らく一番古い落書きなのだろう。
しかし、この絵に関しては、塗料は何を使ってるのだろう?とか、なんでこの絵を描いたのだろうか?と考えると、うすら寒くなる。
他の落書きに関しても、ヤンキーとかが書いたとは考えずらいらしい。
なにせ、この扉は長い事ガッチリ施錠されていた訳ですから。
そして、この落書きは、落書きも含めて遺産になっているため、消す事も出来ないそうだ。

しかも、この島は落書きが好きな人が多かったのか、弾薬庫だけではなく道の壁にまで落書きが掘ってある始末。
この壁、岩ですけど…。どんな筆圧だよ…。

金本…?岩壁の落書きより

ちょっとしたミステリーを感じつつ更に奥へと進んでいくと、この島の代名詞的なトンネルが現れる。
砲台へのメイン通りとして使っていた幹道だ。
このトンネルは、既に死語だが「アベックトンネル」などと呼ばれていたらしい。
見て分かると思うが、かなり暗いトンネルなので、昔カップルがここを通る事により、女性が「キャッこわ~い」とか言ってイチャイチャする場所だったらしいのだ。
そんな女、たぶん男の前だけでそうなのである。女性の間では嫌われそうである。

アベックトンネル

そのまま、トンネルを進んでいくと中は坂になっており、意外と目が慣れてくるとそこまで暗くない。まあ、確かに夜はちょっと怖いかな。キャってなるほどじゃない。
そもそも本気で怖い時は、黙り込んでしまうものだ。

アベックトンネル内部

トンネルを抜けていくと、確かにラピュタのような世界が広がっている。
猿島はご存知の方もいるかもしれませんが、ラピュタ島ともいわれているみたいですね。
作品の時代背景が同じくらいなんだろうな。てか、まあ島全体的にラピュタっぽい。

ラピュタ感

そして、この散策のゴールでもある砲台跡はもうすぐそこだ。
記事として書いていると結構長い道のりのようだが、距離的にはそんなに長くはない。
例えば、いちいち立ち止まったり写真を撮らずに進んでいけば、片道15分くらいだと思う。
この島自体、全部見て廻っても1時間くらいと表記されているくらい小さな島なのだ。
そして、こちらがその砲台跡。

砲台跡…

うん…。あくまで個人的な意見だが、道中の方がいくらかパンチ力がありすぎて、なんというかあまり刺さらない印象だ。
まあ、でもここに大砲があって東京湾を守ってたんだもんな。うん、よしとしましょう。
砲台跡の先には、東京湾を一望できる見晴らしの良い場所がある。
確かに景色も良く、気持ちの良い場所だ。

東京湾

冬に来たら多分こごえるだろうな。



4.まとめ

島の人いわく、猿島に適した季節は秋が一番良いとの事。
夏はアップダウンが多いため暑くて辛いと思うし、冬は寒くてつらいと思う。
そう考えるとやはり秋口が良いのかもしれませんね。
今度は、のんびりビールでも飲みに行こ。

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