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【取材依頼】横浜の伝説の娼婦めりーさん

さて今回は、中学の同級生から初取材依頼をいただき、「メリーさん」について調べてきました。
現在30代から上の世代では、一度は耳にした事があると思いますし、何かしらの媒体で見たこともあるのではないでしょうか。
メリーさんとは舞台化粧のような白塗りの顔に、全身白いドレス姿で横浜の町に立っていた伝説の娼婦なのである。



1.謎に包まれた生涯

まずは、色々と調べていくと当時メリーさんとかかわった方々の話によれば、メリーさんはほとんど自分の事を語るタイプではなかったらしく、語っても辻褄が合わない事なんてザラにあったと言われています。

メリーさんは1921年(大正10年)に岡山の農家で生まれたそうです。
地元の小学校を卒業後、貧しかった為中学には進学せず、青年学校といって実業教育・普通教育・軍事教育を行う学校に進学していたそうです。

卒業後は地元で女中奉公のような事をしていたそうなんですが、1950年代半ばに30代であったメリーさんは朝鮮戦争景気で盛り上がっていた横須賀へ向かったそうです。

メリーさんはそこで、レースのドレス・白いパラソル・扇・羽飾り付き帽子といった格好で、どぶ板通りに立つようになりました。

当時そんな恰好で立っていたのはメリーさんぐらいで、かなり目立っていたそうです。
ただ、なんだかよく分からないけど気品のような、不思議なオーラがあったみたいですね。

メリーさんは基本、誰でもいいといった感じでお客を取っていた訳でもないらしく、軍人さんであれば将校以上の人しか相手にしなかったそうです。

将校クラスになってくると、それなりに人格者も多かったはずなので、まだ安全だしお金も持っているだろうから、一石二鳥だったのかもしれないですね。

そんなメリーさんが横浜に移ってきたのは1960年代頃だったと言います。
メリーさんも40代ですね。



2.メリーさんは主に関内の伊勢佐木町にいた

もう火事で焼失してしまったそうなんですが、伊勢佐木町4丁目の「根岸家」という大衆居酒屋で飲んでいたそうですね。
メリーさんはそこで客引きを行っていたそうです。

根岸家はラーメン屋みたいな名前ですが、当時珍しい24時間営業だったので、メリーさんにとっては最高の職場であったに違いありません。

根岸家が火事で焼失したころ、理由は明確ではありませんが、メリーさんは化粧品が買えなくなってきていたそうです。
そこで、現在も営業されていますが「柳屋」という、今でいうところのドラッグストアでしょうね。

そこの女将さんが、「これなら安くていいんじゃない?」と資生堂さんの粉白粉とアイライナーを紹介したことから、メリーさんは顔面真っ白になったといいます。

ちなみに、メリーさんはこういう方です。

出典
はてなダイアリー

手にはいつも白い紙袋を下げており、その中にはメリーさんの全財産が入っていたと噂されています。

柳屋のおかみさんが話すには、一度全財産を盗まれたことがあったらしく、用心してこのスタイルになったと言われています。

やがて、日本ではエイズ騒動が勃発し、メリーさんは行きつけの美容院を断られ、頻繁に来ていたといわれる相生町付近にも顔を出さなくなったそうです。

もともと、ラブホテルに宿泊していたメリーさんだったが、客が取れなくなってきたメリーさんはホームレスとなってしまったのだ。



3.メリーさんの足跡をたどって

さて、ここまでメリーさんの歴史についてザックリ語ってきたが、ホームレスになってしまったメリーさんはどんな生活をしていたのか。

クラップレポートはメリーさんの足跡をたどってみた。
晩年、メリーさんは住むところを失い、JR根岸線関内駅の、伊勢崎モールの隣の区画にある、福富町に住んでいたそうです。
さっそく伊勢崎モールへ。

「郷に入っては郷に従え」という事で、まずはコンビニで装備を整え。。。
落ち着きます。

さて伊勢崎モールを歩いていくと、やはり「ゆず」の聖地なだけあって、未来ある若者たちが頑張っています。
が、さっそくここで関内らしさを発見。
おじいちゃん寝ちゃってるよ。。。
若者が頑張ってる分、やけにシュールな絵ですね。

そのまま、伊勢崎モールを進んでいくと右手にBOOKOFFが見えてきます。
BOOKOFFを目印に右折すると、そこはもう福富町の玄関口です。

写真では伝わりにくいのですが、この日は土曜日で伊勢崎モールもそこそこ混んでいたのですが、一本道を外れた途端一気に人っ気がなくなるんですね。

本当に関内はこういうスポットがいくつもあって大好きですね。

福富町のアーケードが見えてきました。

福富町はどうゆう訳か、多国籍地区のようになっていて、風俗やキャバクラなどが密集しています。
ネイティブな食材も売っていますね。

こんな感じで。

こんなところにイギリスもあるんですね。

ここで話をメリーさんに戻しますが、メリーさんはこの福富町の「GMビル」というビルに寝泊まりしており、エレベーターガール?のような事をして、チップをいただいて生活していたそうです。

そしてそのGMビルがこちらです。

歴史を感じる趣のある建築物ですよね。
中に入ってみると、クラブがかなり入っているようで、看板がずらりと並びます。

こちらが、エントランスです。
二階に上がる階段と、地下に下がる階段があります。
ちなみにメリーさんはこのあたりに腰かけていたみたいですね。

地下へと続く階段と腰掛けてたであろう場所。

そして、地下一階。

以上が、メリーさんの横浜での終の住処となった場所です。

ちなみに、メリーさんは伊勢佐木町の親切な知り合いの方が新幹線代を出してあげて、故郷に戻してあげたそうです。
故郷に戻ってからは老人ホームに入り好きな絵をかいて静かに暮らしていたそうです。

2005年に心臓発作を起こし、その波乱に満ちた人生に幕を下ろしたそうです。

まとめ

初取材依頼で楽しく取材してきましたが、GMビルは若干怖かったな。
でもまた、楽しく取材してきますので、調べてほしい方がいらっしゃいましたら、どしどし依頼してください。
お読みいただきありがとうございました。

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